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平和への手紙

ノアと鳩、13世紀のモザイクの細部、イタリア・モンレアーレ大聖堂 © 2026 Manuel Cohen/Scala, フィレンツェ

ソロメオ、2026年4月2日


愛しき平和よ。私は歴史に惹かれている。目にするもの、そして読むものを通して、歴史は日々、私のすぐそばにある。私は、多くの時代においてなぜこれほどまでに長く、君が囚われの身とならざるを得なかったのかという問いへの答えを、歴史の中に探し求めている。しかし、いまだ心から納得できる理由には出会えていない。愛しき平和よ。ときに人は、君を魔法にかかった夢のようなものだと語る。けれども、君は夢ではない。君はどこにも存在しない幻想の島でもない。君は確かに存在し、実現し得るものであり、揺るぎない真実そのものだ。そして空気のように、私たちにとって欠かすことのできない存在でもある。歴史も、隠れた場所で声もなく泣く君の姿を見た者たちの証言も、かけがえのない道標となる。歴史家たちは確かに私たちの師である。しかし、君の偉大さ、その美しさ、そして人間的な本質を、最も真実の光のもとに映し出してきたのは、むしろ芸術家や詩人、画家、小説家たちではないだろうか。君はこれまで、芸術によってこそ、何よりも深く讃えられてきたのだと私は思う。

数日前、私は空想の世界に浸っていた。陽光と緑に満ちた、ひときわ美しい街にいる自分を思い描いたのだ。その街は、古くもあり新しくもあり、東洋でありながら西洋でもあるような場所だった。そこには、さまざまな肌の色の人々、子どもたち、老人たち、そして勤勉に生きる男女がいて、皆が時の流れと調和するように、歌い、踊っているように見えた。そしてその中でふと気づいた。彼らがあれほどまでに喜びに満ちていたのは、ただひとえに、君の中、すなわち平和の中で生きていたからなのだと。

私は、彼らの明るい表情と、調和に満ちた生き生きとした営みに見入っていた。まるで惜しみなく降り注ぐ光のような穏やかさが、その幸福な人々の顔に広がっていた。私はその光景に、深く心を奪われていた。私は、シエナのアンブロージオ・ロレンツェッティが14世紀に描いた『善政』の巨大なフレスコ画の中にそれを見るように、何度となく君を仰ぎ見、切望してきた。その傑作に描かれた男女、子ども、そして動物たちの姿は、その穏やかな喜びにおいて、私が空想の中で見た人々と何ら変わるところがない。善政とは、おそらく君が最も好む住まいの一つであり、それが君臨する時、君は繁栄するのだ。だが、君にはもう一つ、同じように大きく美しい、深く愛する住まいがある。それは「兄弟愛」だ。

それを800年も前に教えてくれたのは、貧しさの中で生き、被造物のすべてと語り合い、聖書の時代以来最も美しい賛歌の一つをそれらに捧げた聖人、聖フランチェスコだ。彼は、人と人との間にも、動物や物との間にも区別をつけなかった。彼にとって、すべては兄弟愛の魂に満ちていたからだ。死さえも、彼は初めて、そして唯一無二のものとして「姉妹」と呼んだ。彼は、人類の幸福が「兄弟愛」から生まれることを理解していた。

春だ。忠実なツバメたちが、例年通り私の愛するソロメオの村に戻ってきてさえずり始めた。城の塔に身を乗り出し、最初の星が現れるまで、鳥たちが旋回する姿をうっとりと眺めていた。そして、芳香と、甦る生命に満ちたその柔らかな空気の中に、君はいた。

今日、君は再び、この地球の多くの場所で囚われている。誰が君を解放するのだろうか? あらゆる民族の兄弟、姉妹である、私たち人間だろうか?それとも時の権力者たちだろうか?あらゆる宗教の聖人たちだろうか?おそらくは、私たち全員が兄弟として団結し、君の鎖を永遠に断ち切るのだろう。そうすれば、君は二度と囚われの身になることはなく、その美しい顔が再び世界のあらゆる場所で微笑むようになるだろう。そして私の願いは、君が女王として永遠に戻ってくることだ。私たち生きている人間のために、そしてこれからの新しい世代のために、善きものとして、さらに幾千年もの彼方まで。

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