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実りと調和:人工知能をたずさえて
ヴァチカンの間、「アテナイの学堂」に描かれたピタゴラス、ラファエッロ作、パブリックドメイン画像、ウィキメディア・コモンズより
ソロメオ、2023年11月28日
一年ほど前からおなじみとなった、生成AIのツール。試しに使う人が増えてきました。はじめはおそらく好奇心からでしょう。そして生成AIができることを目の当たりにするにつれ、プライべートや仕事でどのように使えば良いか、模索しだすのです。
これまで長年、美しい言葉の魅力で心に迫るような表現をあまり使わなかった人たち。ごくシンプルで、時には非常にダイレクトな言葉でメールを交わしてきた人たちやパートナー。そうした人たちから、美しい言葉を並べ細部まで注意が行き届いたメールを受けとることが多くなりました。しかしながら、こうした類いの新しいメッセージは、真実味に欠け、どこか人工的。人の手で心を込めて書かれたものではなく、人工知能によるものだと直感で分かります。その中に綴られているコメント、謝意、賛辞など、心に訴えかけるような情緒あふれる表現は、上辺だけのもので少しがっかりしてしまいます。浮き立つような感動的な言葉は、強大で素晴らしいものの、人間味のあるものではありません。無感情に、誰に宛てて書いているのかすら知らない、巨大な言語モデルによるテクノロジーの産物なのです。
今起こっていること、今後起こり得るであろうことについて考えをまとめることは、そうすぐにできることではありません。早急な判断を控えるのも、おそらく現実的ではありません。実際のところ、私たちが信じていることは、私たちの社会の進化を支えてきた人間の発明力や発明そのものではないでしょうか。しかし、人間関係が生まれ、絆が強くなったり、変化したりする時。そのやり方を潜在的に変えてしまうほど革新的な発明に直面したとしたら、どうでしょう。おそらく私たちがとるべき正しい行動について、熟考することになります。私たちは社会的で創造力にあふれた自由な人間であり、人間を機械に置き換えることなど決して考えない関係性があります。その中で、このような革新的なものをどう活用すべかを考え始めるのです。
生成AIは、現代における発明です。おそらく今後さらに大きく発展し、その適用分野はどんどん広がっていくことでしょう。他の技術分野と同じく、日々の仕事の中で生成AIを利用する機会はさらに増え、特に繰り返しの多い業務の負担が軽減されるかもしれません。それで浮いた時間を、私たちが昔から育んできた人間らしいもの、創造や楽しみに充てるのも良いでしょう。あるいは私たちの夢を思い出し、少しだけ羽目を外すのも良いかもしれません。
生成AIは、複雑かつ膨大な量のデータを処理、総括、分析する作業をよりスムーズにしてくれます。そのデータの理解を促し、私たちの将来の行動をより正しく方向づけてくれるという事実には、確かに納得せざるを得ません。翻訳、添削、提案を得るだけでなく、私たちの目論見書、文書や仕事などを完成させることさえ可能になります。公式な通知やビジネスレター、経営事務に関するコメント、統計分析など、いわゆる「感情から生まれたものでない」コミュニケーションを生み出すのに非常に役に立つでしょう。しかし、たとえ常にスタンバイしている有能なパーソナルアシスタントであったとしても、夕焼けを前にして涙することも感動することもないロボットのようなツールが、私たちの心から湧きあがるものと同じものを生成できるとは到底考えられません。
すべては尺度の中にある。デルフォイのアポロン神殿に刻まれた装飾には『過ぎたるは及ばざるがごとし』と書かれています。大いなる古代ギリシアの民の、最も優れた倫理的美徳の一つです。また、ヘーゲルは、量は質を決定すると考えていました。ものごとがある一定の調和を超えてしまうと、ものごとそのものの有意性が変わってしまう、と。人工知能も、正しい尺度をもって使いこなせれば、驚くべき恩恵を得られるかもしれません。ですが、使い過ぎてはいけないのです。
例えば、人間が使う言葉について思い浮かぶことがあります。著名な言語学者トゥリオ・デ=マウロは1976年、語彙数について調査を行いました。対象は人文系科目を学び、古典ギリシア語も履修する古典高校の学生たち。当時の語彙数は1500語でした。20年後に同じ調査を行ったところ、その数は640語に減少していました。おそらく今日では、携帯電話やショートメッセージなどの普及を考慮すると、もっと減っているでしょう。言葉を選択する仕事を人工知能に委ねてしまえば、一体何が起こるでしょうか。おそらく言葉を生み出す力が低下し、人間性の礎(いしずえ)となる思考そのものに影響するかもしれません。
ということでまた本題に戻りましょう。人工知能を使って手紙を書く時は、「人工知能と一緒に書きました」というような一文を添えると良いと思います。それがどこか優雅で真摯なしるしになり、相手に抱く敬意と自分の行動の倫理性を証明してくれるでしょう。それが私たちの仕事と思想にふさわしい価値を与える、人間味のある方法になると思います。例えば、文章の最後をこう締めくってみてはいかがでしょうか。
「・・・創造物が私たちの歩みをつねに照らしてくれますように
敬愛を込めて
ブルネロ
人工知能と一緒に書きました」