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君たちに託す「人間主義的革命」 ── 若者への手紙

1. 古代エジプトの神官 2. ヘシオドス 3. ソクラテス 4. セネカ 5. 聖アウグスティヌス 6. ボッカッチョ

2025年4月28日、ソロメオ

ああ、私の親愛なる若者たちよ。

君たちの「人間主義的革命」は未来へと心を向けながら、過去にも目を向けています。歴史を振り返れば、多くの偉人たちが、今の君たちのような若者を、時には厳しい言葉で批判してきたことが分かります。

古代エジプトのある神官:「今の子どもたちは親の言うことを聞かない。世界の終わりは近い。」

古代バビロニア(5千年前)の粘土器に刻まれていた言葉:「この若者たちは心が腐っている。怠惰で悪しき者だ。昔の若者のようには決してならない。今日の若者たちは、我々の文化を維持することはできないだろう。」

ヘシオドス:「この若者たちが明日、権力を握るとしたら、我々の国に未来はない。彼らは我慢ならず、恥知らずで、見るに堪えない。」

ソクラテス:「今の若者は贅沢を好み、礼儀を欠き、年長者を敬わない。権威を嘲笑し、年配の人が部屋に入ってきても席を立たず、親には口答えをする。まるで小さな暴君のようだ。ひと言で言えば、悪である。」

セネカ:「(若者たちは)快楽に溺れ、時代の堕落と放縦によって意志が弱まり、骨抜きにされた存在」 - 彼の描くこの退廃的な若者像は次のように締めくくられています。「彼らは生まれながらにして虚弱で、自らの純潔を守ることもせず、他人の純潔をも脅かすのだ。」

聖アウグスティヌス:「若さという病は実に危ういものである。若者たちは情熱に突き動かされ、希望に満ち、快楽に心を奪われる。しかしその希望は、絶望の裏返しであり、朽ちゆくものに向けられた儚い願いにすぎない。それらは、満たされることのない欲望をかき立て、真理と向き合う力を弱めてしまうのだ。」

ボッカッチョの若者に対する批判:「今の若者たちは虚栄心が強く、恥を知らず、過度に繊細で甘やかされている。」

ああ、私の愛する若者たちよ。

私は毎日、君たちのことを世界の中心にいる存在として思い浮かべています。私が子どもだった頃、目はいつも両親の姿を追いかけていました。そして、その行動から、まだ本能だけでは得られない人生のルールを学んでいったのです。

君たちを見ていると、そこには過去の時間と、これから始まる「新しい時(テンプス・ノヴム)」の中にいる君たちの姿が、静かに重なっていきます。希望を持つことは大切です。しかし、それだけでは未来を切り拓くには不十分かもしれません。だからこそ私たちは、過去の記憶を胸に刻みながら、未来に目を向けた「人間主義的革命」を実践する必要があります。未来は、誰かから与えられるものではなく、自らがつかみ取る「約束」のようなもの。そしてそれは、明日を担う男女、すなわち君たちに贈られるべき大切なものです。その未来を心から願い、実現するためには、自分の人生に深い意味を与える「価値」が不可欠なのです。

人間は何十世紀にもわたって、「価値」を大切にしてきました。しかし現代では、その価値観さえも疑問視されています。変化こそが幸せへの鍵だと語られることも少なくありません。けれども、「価値」は単なる概念ではなく、人間の本質に属するもので、永続的に受け継がれていきます。それを見失ってしまえば、「新しい時(テンプス・ノヴム)」もまた、ただの幻想にすぎなくなってしまうでしょう。古代の哲学者たちは、幸福とは当然与えられる「権利」ではなく、正しく願い求めるべき「望み」であると説いています。そしてその幸福は、心と精神が調和したときにはじめて、私たちの手に届くものなのです。

価値が生まれる場所があるとすれば、それは「青春」でしょう。青春時代は、あらゆる感情、勇気、情熱が自然のバイタリティと一体化します。そのバイタリティは、燃えるような夕焼けや荘厳な朝焼け、吹き抜ける風や降りそそぐ陽光の中に溢れ、世界のどこかで静かに咲く無数の花々の香りを運んできてくれます。

君たちの姿も、まるでその花々のひとつのように感じられます。若き力がみなぎり、夢の香りがあふれ立ち、その魂には、遠く燃えさかる地平線が息づいています。青春―それは、私にとってこの上なく美しく、豊かな場所でした。あの頃の記憶は、今では特別な瞬間にだけ、かすかに蘇るものとなりました。でも、すべてが今とは違っていたことは、はっきりと覚えています。たとえば、ただの木片でつくった小さな船が、想像の中で大きな蒸気船となって広い海を渡っていったように、その木のかけらひとつにも、形や素材を超えた大きな意味や輝きがあったのです。

時に私たちは、「欲望の欠如」という、魂の痛みのようなものを目にします。しかし、プラトンは語りました。愛の神エロスの両親であるポロス(富)とペニア(貧困)の神話を通して、「欲望は欠乏から生まれる」と。愛することは崇高な体験です。でも、もしその愛を長く続けたいのなら、ほんの少しだけ愛する相手に「会えない時間」を与えてあげてください。

私の言葉が、君たちの魂にまで届くものかどうかは分かりませんが、君たちが新しい時を願い、それを生きたものにしたいのなら、ギリシャ人が私たちに教えてくれた「節度」というものをもって、その時間を生きてください。その時を森羅万象の息子のように敬えば、それは風に消えることなく、永遠の命を宿すでしょう。私は信じています。これらはすべて、「人間主義的革命」なしには実現できないと。そして、その原動力になれるのは、君たちなのです。

学校という場所は、君たちに与えられた大切な特権です。ある年齢までは、君たちを育み、教育してくれます。本と出会わせてくれる場でもあります。そのことに、ぜひ感謝してください。本というものも、少し足りないくらいのほうが、かえって心から求めたくなるものです。図書館まで足を運んで、自分の手で選び、手に入れた一冊。返却期限があるからこそ、その本を大切に読み、丁寧に扱うようになります。

図書館とは、かつてローマ皇帝ハドリアヌスが言ったように「魂の穀物庫」です。若者たちよ、その「穀物」で自らを養ってください。図書館を、知識の倉庫としてではなく、新たな知を生み出す場として捉えてみてください。そこから、「人間主義的革命」の夢が芽生えるかもしれないのです。

アリストテレスは「心が開かれなければ、知性も開かれない」と言いました。だから君たちこそが、世界のどこかでこの手紙を読んでいる君たちこそが、もしも今「魂の痛み」を抱えているのなら、夢を、兄弟愛を、優しさを、節度をもって、どうかその新しい時(テンプス・ノヴム)に向けた「人間主義的革命」の立役者になってください。

私の愛しい若者たちよ。どうか、過去の偉人たちが残した冒頭の言葉に真っ向から立ち向かってください。若者をあのように考察していたというのは、彼らにも脆さがあったからでしょう。君たちはその代わりに、私たちが見ている「もうひとつの現実」の鏡となってください。そこにいるのは、私や多くの大人が思い描く、愛にあふれた若者たちの姿。生命力の象徴であり、大胆で、まるで宝石箱のように輝き、絶えず創造を続ける自然の一部のような存在です。そして、親や祖父母をはじめとする私たち大人にしかできないこともあります。それは君たちの声に耳を傾け、あたたかな言葉をかけ、やさしく撫でてあげることです。君たちはそれを必要としていて、それこそが、君たちの魂の栄養になるのです。

1. 第18王朝のエジプト神官(作品一部) - アンフルカウの墓、エジプト © 2025 写真:Scala、フィレンツェ 2. ヘシオドスの胸像 © 2025 写真:Scala、フィレンツェ / bpk、美術・文化・歴史画像エージェンシー(ベルリン)  3. 『ソクラテスの死』(作品一部) - ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748~1825) © 2025 画像著作権:メトロポリタン美術館 / アートリソース / Scala、フィレンツェ  4. セネカとされる人物の胸像 - ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640) © 2025 画像著作権:メトロポリタン美術館 / アートリソース / Scala、フィレンツェ 5. ヒッポの聖アウグスティヌス(作品一部) - 15世紀カタルーニャ派 © 2025 DeAgostiniピクチャーライブラリー / Scala、フィレンツェ  6. ジョヴァンニ・ボッカッチョ(作品一部) - 16世紀 © 2025 DeAgostiniピクチャーライブラリー / Scala、フィレンツェ

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