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ソロメオ村の普遍的な図書館、千年の贈り物

左: プトレマイオス一世ソーテール(紀元前367年〜紀元前282年)、大理石の胸像 © 2023 RMN-Grand Palais/Dist. 画像 SCALA、フィレンツェ。
右: ハドリアヌス皇帝

「図書館を設立するということは、公共の穀物貯蔵庫をつくるようなものだ」
皇帝ハドリアヌス

ソロメオ、2021年10月28日

家族と共に田舎をあとにし、町へ移り住んだのは15歳の頃でした。当時、私たちのような農民の多くは、穏やかで安定した都会での生活を夢見ていたのです。しかし、その生活は残念ながら、朝陽や夕暮れ、黄金の麦、動物たちの冬の温かさといった自然の美しさからはかけ離れたものでした。私たちの生みの親でもある自然は、母親のように私たちを寛大に受け入れてくれていました。すべてが変わり、私はフェーロ・ディ・カヴァッロ地区にあるジジーノのバールで一日の大半を過ごすようになりました。私たちは、少しずつ貯めたお金でペルージャのこの地区に新しい家を建てたのです。そして今でも私が魂の大学だったと思っているあのバールで、17歳の時に哲学との最初の出会いがありました。それは言うまでもなくイマヌエル・カントとの出会いでした。私とカントとの出会いのキューピットになったのは、「純粋理性批判」という一冊の本でした。多種多様な人たちが集まるジジーノのバールの中で最も勤勉な常連客だった二人の高校生が、この本を勉強のために持ち歩いていたのです。あれだけがやがやした店内でどうやって勉強していたのかは、今となっても不思議なものですが・・・。

彼らは私にはまだ未知であったその学問を熱心に語ってくれました。そのおかげで、この本は私にとって象徴的なものになりました。私はそこから偉大な思想の世界を感じとり、並外れた価値を習得しました。その後数日間、同じ本を見つけるまで本屋や古本の露店を何軒回ったか分かりません。夕食の後、すべてが静まり返った時に、難しくも数え切れない魅力を秘めた言葉の解明を試みました。その中には、この下に書かれているような、私の人生の指針となる運命的なものがありました。私はそれについてこれまで何度も触れてきました。

汝の人格においても、
あらゆる他者の人格においても、
その内にある人間性を単なる手段としてではなく、
常に同時に目的として扱うように行為せよ

この私の最初の魅惑的な出会いは、数年後に、私の人生へ感銘を与えたもう一つの体験へ繋がります。それは、マルグリット・ユルスナールの本、「ハドリアヌス帝の回想」を読んだことでした。 この本は歴史を語りながらも、魂と存在について詳しく触れています。 私は当時23歳、世界の広大さを理解すること、経過していく時間を尊重すること、平穏と静寂の中で魂について瞑想することを学ぶ時期でした。

そして数年が経ち、25歳の頃、従姉妹のルイーザが私のところにプラトンの本「パイドン」を持ってきてくれました。これは彼女の父親が生前大切にしていたもので、ルイーザはそれを形見として私に託してくれたのです。この本を私に贈るという彼女の純粋な行為、そしてそれを私自らの手でごく自然に受け取ったこと。このやり取りは、何か神聖的なものとして今でも鮮明に私の記憶の中に残っています。

それは大切に保管されていた本でした。ページを何千回もめくったこと、装丁を崩さないためにそうっとページをめくっていたことがすぐに分かりました。いくつものフレーズ、いくつもの言葉に赤鉛筆で下線が引かれていました。それは昔、学校の先生が使っていた色鉛筆を思い出させるものでした。一方が青、もう一方が赤の2色の色鉛筆を学校の先生は、ちょっとした間違いと重要な間違いを指摘するために使っていました。

その下線は、起源すら分からない深甚なる知識を習得しようとする、一人の男の古代に捧げる情熱を私に語っているように見えました。そして私の叔父にあたるオルランドが、あの時代の電球のわずかな灯りの下で仕事で疲れていたにもかかわらず、ごく少ない勉学の心得をもとに、古代ギリシャ人にとってポセイドンの末裔とさえ言われたあの男、哲学者プラトンの偉大な頭脳を解明するために、貴重な睡眠時間を削っていた夜を私は想像していました。

もしかするとあの本は、ポジティブな反応をもたらす試薬のようなものだったのかもしれません。というのも、今では遠い昔となったこの出来事をきっかけに、より多くの本を所有し、保管し、読み、愛したいという欲求が私の中で生まれ、それが本格的な興味関心へと進化していったからです。もちろんそれらはバイタリティ溢れる体験でした。私の知に対する欲望は、購入した書籍の数や読書に費やす時間を遥かに上回っていました。そのことには時が経ってから気がつきました。

おそらくこうした体験のすべてが、まるで原子力エネルギーのように、無尽蔵の動力源を蓄えてくれたのでしょう。そしてそれが、私たちが今ここで一つになろうとする運命的な選択へと繋がっているのだと思います。過去の多くの偉人たちの強力な頭脳によって刷り込まれた本の中の思想や精神は、まるで彼らの影が私に語りかけてくるような迫力を秘めており、それに対して私の中である種の崇拝が生まれたのです。正直、この信仰は私自身にとって、永久に歴史が刻まれた「本」という物質の神格化に近いものでした。本物の本のすべて、重要な作品のすべてが、今でも私にとってはラスキンが表現した「王様の庭」のようなものです。王様は私たちを寛容に受け入れ、植物の美しさや色彩、花々の香り、発散された香油で喜ばせてくれますが、同時に創造物すべてのものが受けるべき敬意も要求してきます。

今、私は、偉大な思想家たちの著書に注がれた普遍性が、人類にとって最も大きな贈り物であると確信しています。そしてこの贈り物は、良書である限り、大小を問わず、どんな書物の収集においても重要な糧となります。すなわち図書館はこの糧を基盤に、そこから生み出される普遍性をアイデンティティにしているのです。そして、もしそれぞれの人間が、芸術や技術、歴史、あるいは他のことかもしれませんが、それらに対して特別な夢を持っていたとしたなら、この普遍性は、必要不可欠なものだと思います。個々の作品よりも、むしろ作者自身の偉大さの中に宿る素質を感じ取る必要があるのです。

「私のアリストテレス」と親しみを込めて呼んでいるマッシモと一緒に散歩をすることは、今ではお決まりの習慣になっていますが、毎回新鮮な発見があります。ある日、彼と散歩をしながら、多くの情熱を注ぎながら長い時間をかけてソロメオ村で実現した作品の数々を見直しました。霊性の森から、お城や教会のある村の修復、世俗的な芸術の神殿と考えている劇場の建設、クセノファネスが「すべては大地から生まれる」と教えてくれた母なる女神への賛辞であるブドウ畑のあるワインセラー、そして人間の尊厳へのモニュメントの実現まで。私たちは、ソロメオ村が今、実現した数々の作品と共に哀歌を奏でていると考えました。それは、精神性から上へ向かい、歴史へ、芸術へ、文化へ、職人や農民の仕事へ、そして森羅万象の法則に従ったこれらすべての作り手が人間だという本質の祝福へと通づる人文的な道のりなのです。

そして、特別な幸福感に包まれていたある日、私たちは「この気高い会話をどのように続けていくことができるだろうか、森羅万象の守護者として、この先の千年に向けて世界へ何を贈りたいのか?」と疑問を投げかけました。私は企業家を生業とし、マッシモは建築家。ですから私たちにとって、こうしたすべてのことが、人類にとって新しく美しいものに再び挑戦する喜びであり、時を経ても消滅しない一連の贈り物なのです。時間に対する考えは私たちを遥か昔、皇帝ハドリアヌスにまで引き戻します。そしてもっと昔のアレクサンドロス大王。この二人の男は夢を行動に移し、世界の利益へ結びつけました。私たちは、両者が本を愛していたことを思い出しました。ハドリアヌスは、図書館を創設する者は精神の穀物貯蔵庫を建設する者のようだ、と考えていました。そして、アレクサンドロスには、アレクサンドリアの新しい街の中に世界で最も有名な図書館を建立することを欲した、彼の最も重要な右腕プトレマイオスがいました。そして私たちはこのように言いました。「私たちの小ささはさておき、なぜ偉大な彼らの後に続かないのか。必要とされているに違いない大きな図書館を、なぜここソロメオ村に実現しないのか。図書館を充実させるだろう書籍の作者たちの思想の普遍性を通じて、それ自体が『普遍的なもの』になりえるのではないか?」と。

デッサン画、ソロメオ村の普遍的な図書館の正面図

私はプトレマイオス一家のことを想いました。当時知られていたあらゆる人間の知識を収める大規模な保管場所を創り、アレクサンドリアを地中海すべての国々の文化の発祥地にしようと試みた彼らの壮大なビジョンについてです。私たちの目には、それがどれだけ立派な夢に映ることでしょう!プトレマイオス一家は実際に、並外れた文化的モニュメントを全世界のために生み出したのです。巻子本49万巻を所蔵し、世界七不思議の一つとされた図書館が、そこに生まれたのです!プトレマイオス1世は勇気ある天才で、アリストテレスの作品を中心に、古代ギリシャの原典を集めました。彼自身、アリストテレスの弟子でした。後に王となるアレクサンドロス、そしてヘレニズム思想の伝播者であったディアドコイなどの若者たちと共に、アリストテレスの教えを受けたのです。彼ら若者を選出したのは、マケドニア王のピリッポス2世でした。ピリッポス2世は、彼の息子と一緒に戦いと学識を学ばせるために若者たちをアリストテレスのもとに集めたのです。さらに私たちはプトレマイオス1世の息子のことも考えました。父親と同じ名前を持つ彼は、父を称えながら後継者としての誇るべき道を歩みました。彼は図書館を拡大させ、できるだけ多くの書物を集めるために世界各地に使者を送りました。港に停泊中の外国船に対しては、船上にある本の写しを行うことを義務付けました。写し終わった後は、原本を没収し、写した方の書物を原本の代わりに返却した、という話は実に興味深いものです。当時、目録の作成は写字生と聖職者に委ねられていました。大きな王宮美術館の中に設けられた広大な建物の聖なる静寂の中で、古代の博識者たちが巻子本を何度も開きながら内容を検証・分類する姿を想像しました。そして、ファラオであったラムセス2世の埋葬場の聖なる図書館の入り口に掲げられた、ディオドロス・シケリオテスのフレーズ「魂の薬草店」が頭に浮かびました。図書館の初代館長は、エフェソス出身の文献学者ゼノドトスでした。彼の後にその座に就いたのは、有名な詩人カリマコスでした。そしてその後何世紀にも渡り有能な継承者が選出されていきました。彼らのおかげで人類の学識において世界の中心であり続けたアレクサンドリアを想像する、これはなんと感動的なことでしょう!最終的にローマ人によって行われた破壊はあまり想像したくありません。なぜなら、私はむしろ、こうした歴史があったということの永遠性、すなわち、知識を求めるすべての人の心に残るものについて考えたいからです。前述したように、皇帝ハドリアヌスは図書館を「精神の広大な穀物貯蔵庫」という風にみなしていました。これは彼の非凡さを映し出すもので、今なお私を魅了し続けています。このことが私に力を与えてくれるのです。そうです、新しい夢、ソロメオ村の新しい図書館、先ほど触れましたが、それを「普遍的なもの」と定義できることを私は大いに望んでいます。私とマッシモにとって多大な価値をもたらすこの新しいプロジェクト、その特別な空間をどこに建設するのか?答えは一つしかありません。ここ、ソロメオ村です。お城や教会、劇場、円形劇場、競技公園と共に。それはまるで世俗的なアクロポリスのような美しいもので、芸術と文化を愛するすべての人々のための場所となるようにしたいのです。劇場のすぐ側に素晴らしい17世紀の邸がありますが、高齢の所有者が手放すことを決めました。邸と庭が一つに構成され、谷へ向かって広がる大きな公園が隣接しています。ペルージャからソロメオ村を眺めると、そこに生育する糸杉とトキワガシによってちょうど広大な緑の土台のように見える構成です。私はこの邸を、年の経過と共に世界中の多くの古典文学の所蔵を行う、「ソロメオ村の普遍的な図書館」の気高い本拠地のように考えたいと思っています。誰もが、学ぶため、本を読むために自由に入ることができる場所。あるいはソロメオ村の公共公園となる庭園を散歩するためでもいいでしょう。まさにそうした空間にしたいのです。それを私の友人の建築家と一緒に考えました。建物の様式としては、ティボリのハドリアヌス邸の手法をベースにしたいと思っています。また、ギリシャを旅した時に私を魅了した思い出深い場所の雰囲気もデザインに取り入れるつもりです。そして、「もし図書館とその側へ菜園を植えたなら、君の人生において何も欠くものはない」と言ったキケロへのオマージュとして菜園も作れたら嬉しいですね。庭園と気高い建築物、そして花々に溢れる道が途絶えることなく優しく連結していく。カシミヤと調和の村、そしてずいぶん前から想像してきたように、広大な庭園として完成されたソロメオ村を私は想像します。ちょうどストラボンが、アレクサンドリアの図書館について述べたような感じです。その図書館では、会議や討論、あるいは祝福の演説といった重要な会合はもとより、識者による定期的なシンポジウムなどを行うための異なるスペースが設けられていました。これはまさに夢のような新プロジェクトに対し私が抱いているイメージです。
木と紙の香りがする書架から直接本を手に取り、自然の緑の明かりのもとで、テーブルに座って読書に専念するのもいいでしょうし、窓の近くの快適なソファーに座ってウンブリアの魅力的な景色をうっとりと眺めながら空間自体を楽しむのもいいでしょう。書架は最初はほぼ空の状態です。それは図書館というのは過去と未来の狭間を行き来する願いを反映しながら、生きている生物のように成長する運命にあるからです。私は本そのものが生命の宿る存在だと思っています。だから、それらをコンピューターの画面ではなく、この場所で実際に紙の質感を肌で感じながら読んでもらいたいと考えています。私の子供たち、そしてさらにその次の子供たちが、時間の流れの中で、このプロジェクトを愛し、何世紀ものあいだ大切に管理してくれれば大変幸せです。

私は常に哲学、建築、文学に魅力を感じてきました。各分野の専門家たちへ、世界のあらゆる場所に存在する最も古典的な作品を選出するという課題を委ねることになります。しかし、それは決して独占的な選択ではありません。というのも、人類には境界がないからです。以下のようなヴォルテールの素晴らしい考えが頭に浮かびます。
「私は古い本と一緒にいます、なぜなら私に何かを教えてくれるからです。新しい本からは、ほんのわずかしか学べません」。
そしてモンテスキューが「すべての古い本を読み終えるまでは、新しい本を好む理由はない」と言ったことを忘れることはできません。
マッシモはマンゾーニの支持者フェランテ神父のことを私に語ってくれました。お高くとまった博識としてではなく魂の親密な喜びとして本を愛した彼の優しい姿を。その記憶は、実に衝撃的なものでした。
それにしても、今の時代を生きることは本当に素晴らしいことだと思います。なぜなら、古代の人たちの考えが今日の経験と学識を通じてどう解釈されるべきかを知ることができるからです。このため、ソロメオ村の普遍的な図書館の書架に並べられる本は作者の原本であっても、魅力的で奥深い簡潔な序文が添えられた現代版にしたいと思っています。その序文は本を読む前ではなく、読み終えた後に読んだ方が良いでしょう。
私は人間の知恵の中には精神性があり、その精神性は普遍的なものだと思います。今を生きる私たちは、真の精神的価値、人間的な永遠の理想を取り戻す必要があると思います。そして、本はそれを実現するための最高の心の糧であると確信しています。三百年、五百年、千年先を考えながら、ソロメオ村の普遍的な図書館を設立するという新しい大きな取り組みに挑む私の真の目的は、私たちを待ち受ける輝きに満ちた明日に過去と向き合う場所を捧げることです。その場所は未来の世代にだけでなく、過去の世代にも捧げるべきものです。なぜなら、本が若者たちにとって精神的な栄養源だとすれば、それは老年者にとっての喜びでもあるからです。私は、芸術フォーラムに対して鮮明なビジョンを抱いています。劇場や円形劇場、新しい普遍的な図書館、さらに公共に開かれた公園があり、広大で魅力的な場所、理想的な出会いの場所として市民に親しまれる芸術フォーラム、それこそが私の理想とする姿です。まさに哲学者の古代の庭園、あるいはアレクサンドリアの図書館がそうであったように。当時人々はそこで、読書をすることはもちろん、学んだり、議論をしたり、仕事をしたり、季節によっては屋外や屋内で楽しい座談会を開いたりして過ごしていました。私は、芸術フォーラムがそういう場所になることを願っています。
図書館に対する私の考えにおそらく最も近い精神を表現する、締め括りのフレーズをひとつ述べさせてください。これはペトラルカの言葉です。
「本は、私が何か尋ねるといつも答えをくれる。私に話しかけてくれ、歌を聞かせてくれる。ある本は笑みを浮かべ私を慰めてくれ、ある本は私自身を知るきっかけを作ってくれる」。

アレッサンドリアの図書館の巻子本を調べる学者たち © 2021年 マリー・エヴァンス/スカラ (フィレンツェ)

アレクサンドリア図書館

考察と歴史的注記

古代で最も重要な施設としてその名が知られていたアレクサンドリアの街の偉大な図書館。歴史的大作のひとつに数えられるこの図書館は、紀元前三世紀に初代エジプト王プトレマイオス(紀元前367年~282年)の意向で誕生しました。
この構想へと繋がる文化的事業の案は、アリストテレスからアレクサンドロス大王へ受け継がれ、そしてこの二人からプトレマイオスの手に渡ったのです。
アレクサンドロス大王はアリストテレスから倫理と政治科学の教えを学びながら、一般教養も身につけていきました。特に哲学的研究に対する情熱はアリストテレスに影響を受けたものです。アリストテレスはおそらく、古代ギリシャの哲学者の中で体系的な図書館 を設置した最初の人物でしょう。彼自身の学園「リュケイオン」の中に創設されたこの図書館は、実験科学の研究を具体的に進める作業場として考案されました。アレクサンドリアに所蔵された本のうち、最初の中核となったのは、まさにこのアリストテレスの全集でした。

基本的にパピルス紙と羊皮紙を用いた資料の収集・所蔵・記録の作業は、写字生が行っていましたが、その世話と管理は聖職者へも委ねられていました。彼らはとても学識があり、このような文献学的な作品に対しての適切な能力を備えていたからです。

偉大な図書館のプロジェクトは、プトレマイオス1世の息子であるプトレマイオス2世(紀元前282年~246年)が完成させました。彼は主に原典の分野拡大と所蔵物の充実へ貢献しました。
この素晴らしい古代文化のカテドラルの遺跡や証拠は、もう残っていないのですが、アレクサンドリア図書館は、当時知られていた世界の普遍的な知識のすべてを一箇所に集めようとした有識者たちの夢や努力の結晶であり、まさに博学の永遠の象徴と言えるでしょう。
街自体は紀元前 331 年に、アレクサンドロス大王によって建設されたのですが、アレクサンドリアが地中海地域全体の最も重要な交易拠点となったのは、プトレマイオス朝の時代に入ってからのことです。
街は海上の戦略的な場所に位置していたため、その強みを活かしながら比較的短期間で大きく拡張され、その後の王たちによって美しく整備されました。
プトレマイオス1世は、アレクサンドリア図書館の利用者のために、あらゆる文化知識を蓄えようと試みました。できるだけ多くの人たちに教養と「賢さ」を身につけてもらいたい、というのが彼の願いだったのです。そのもう一方で、彼は、膨大な量の原典を後続する世代へ受け継がせたい、という崇高な夢も抱いていました。
こうして、本館にパピルス紙の巻子本49万巻、さらに別館として設けられたセラピス神を祀る神殿「セラペイオン」の図書館に4万2800巻を所蔵するに至った、古代世界の七不思議が生まれたのです。
歴史学者ストラボンの話によると、本は神殿の柱で支えられた中庭の内部にある閉ざされた場所に置かれていたそうです。
偉大な図書館は、王宮内部の「博物館」と呼ばれる場所にありました。そこは、もともと音楽のために捧げられた場所で、天文学や力学、医学などの研究を行うギリシャ文化の中心地的役割を担っていました。そしてそこから高名な「アレクサンドリア学派」が生まれたのです。

建物の建築工事は、紀元前290年ごろに始まりました。工事の監修を担ったのは、哲学者デメトリウス・ファレレウスでした。彼は、アリストテレスが設立したリュケイオンで、アリストテレスの後継者であるテオフラストスに直接師事した人物です。
アレクサンドリア図書館は、「七十人訳聖書」として名が知られているヘブライ語聖書のギリシャ語版が初めて写本された場所でもあります。
プトレマイオス2世は、世界中の王たちに、所有している書物があればテーマやジャンルに関わらずすべてアレクサンドリアへ送るよう呼びかけ、図書館の多様性や規模を拡大することに貢献しました。彼のおかげで普遍的な図書館としての美しさが生まれたのです。

アレクサンドリアの普遍的な図書館は、エラトステネス、アリストファネス、アリスタルコスなどの高名な館長により支えられ、アレクサンドリアの街自体が当時のあらゆる作家や詩人、科学者にとっての活動拠点となりました。こうして、その巨大な図書館は、ヘレニズム時代全体を通じて、最重要文化施設としての揺るぎない地位を確保していったのです。アレクサンドリアを慕う高名な学者としてまず最初に思い出されるのは、かの偉大な数学者エウクレイデスです。エウクレイデスは、ピタゴラスの思想の普及に多大な貢献を果たした人物です。
シラクサ出身のアルキメデスも、彼の弟子に含まれていた可能性が高いと言われています。アルキメデスはヒエロン2世の王宮で働き、エウクレイデスの後継者になるはずでした。
時が過ぎる中で、アレクサンドリアの図書館は何度か火災に見舞われました。最初の火災は、ガイウス・ユリウス・カエサルの政権下にあった紀元前48年に発生しました。
アウグストゥス(オクタウィアヌス)は、街と図書館を心から大切にしていました。後のハドリアヌスやアントニヌスも彼と同じことを行なったに違いありません。カラカラを出発点に、エジプトの首都はまさに衰退を始め、アウレリウス、さらにディオクレティアヌスの時代に著しく状況が悪化しました。トラヤヌスのもとで起きた一連の破壊が、何世紀も続いたアレクサンドリアの壮麗さと歴史的なモニュメントの遺産を、わずかな期間で消し去ったとされています。
度重なる火災と破壊の後には常に再建が行われました。西暦641年にトルコ人の手によって取り返しのつかない事態に進展するまでは。
多くの災難に見舞われましたが、アレクサンドリアの偉大かつ普遍的な図書館は、ローマ人、キリスト教徒、あるいはイスラム教徒などの独裁的な指導者の命令で暴力的な行為を通じて破壊されたわけではありません。おそらくそれは、単にプトレマイオス朝の衰退に追随しただけなのではないでしょうか。管理作業が疎かになり、周囲の関心が薄れ徐々に破壊されていったのです。図書館は、執念深い貴重な管理体制により成り立っていました。それを貫けていたからこそ、古代世界の七不思議の一つに数えられるほどの功績を残せたのです。
司教であり作家でもあった四世紀のギリシャのエピファニウスの古い言葉は、独特の魅力とともにアレクサンドリア図書館の歴史をこう要約しています。

「プトレマイオス1世の後には、美しさと文学を愛する男、アレクサンドリアの王プトレマイオス2世、通称フィラデルフォスが現れました。彼はアレクサンドリアの街の中のいわゆるブルクシオンと呼ばれるところ(これは現在は荒廃している街の一区です)に図書館を創設し、デメトリウス・ファレレウスという者に後を託し、世界中で見つけられる限りの書物を集めるように命じました。デメトリウスは世界中の王と統治者へ手紙を書き、彼らの王国と領地に存在する書物を躊躇なく送るよう圧力をかけました。ここでの書物には、詩人やロゴグラポスをはじめ、修辞学者や詭弁学者、医者、医学の師、歴史学者が著述したあらゆる種類の書物が含まれています。作業が進み、本があらゆる場所から集められたころ、ある日、王が図書館を任せた者たちへ、何冊の本が既に収集されたかを尋ねました。この者たちは王へこう答えました。『約5万4800冊です。しかし世界にはまだエチオピア人、インド人、ペルシャ人、エラム人、バビロニア人、アッシリア人、カルデア人、ローマ人、フェニキア人、シリア人、ギリシャに住むローマ人(当時はラテン人と呼ばれていたローマ人)のもとに膨大な数の本が存在すると思われます。しかしエルサレムとユダヤの地には、神と宇宙の創造、そして一般的に役立つ教えについて書かれた預言者たちの聖典が存在します。王様がもしこれらの本も所有されることをお望みでしたら、貴殿の図書館にこうした書物も所蔵することができるよう、エルサレムの師たちへ手紙を書き、本を送るようにお頼みください』・・・・」

ブルネロクチネリとマッシモ・デ・ヴィコ・ファッラーニ

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