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「ゲニウス・ロキ(マスター・オブ・アーツ)」

カンパニア大学「ルイージ・ヴァンヴィテッリ」建築学名誉博士号授与にあたっての謝辞(Lectio Doctoralis

左から、建築学教授アレッサンドラ・チラフィチ、カンパニア大学学長ジャンフランコ・ニコレッティ教授、ペルージャ大学学長マウリツィオ・オリヴィエロ教授、ブルネッロ・クチネリ、イタリア共和国大学・研究大臣アンナ・マリア・ベルニーニ閣下、ナポリ・パルテノペ大学学長アントニオ・ガロファロ教授、ナポリ東洋大学学長ロベルト・トットリ教授、建築・工業デザイン学部長オルネッラ・ゼレンガ教授

2025年3月、カセルタ

最も尊敬する学長をはじめ、他大学の学長の皆さま、学部長、教授、関係機関の皆さま、そして親愛なる友人たち、本日はこのようにお集まりいただき、心から感謝申し上げます。皆さまのご臨席が、今日という特別な日の喜びをいっそう大きなものにしてくれています。

私の原点は、農村の暮らしにあります。それは自然と深く結びついたものであり、私はそこから創造の法則とゲニウス・ロキ(その土地の精神)の言語を学びました。これらは、自然と芸術、美とのつながりを最初に教えてくれたものであり、私が敬愛するギリシャの先人たちが重んじた「自然に従って生きる」という知恵へと導いてくれたのです。

私は、穏やかな美しい幼年期を過ごした、カステル・リゴーネ地方の田園地帯の農家で「森羅万象と調和して生きる」ことを学びました。

私たちは、動物たちとともに畑を耕していました。電気はありませんでしたが、空と星々が、私の最初のインスピレーションになりました。私は、地に足をつけ、堅実に成長しましたが、私の目は空を見つめていました。

私が人文思想への第一歩を踏み出したのは、その数年後のことでした。大学生活を送っていた時に、とあるバルで友人達と知り合い、カントについて一緒に議論を始めました。

それは、哲学に情熱を抱く私の旅の出発点でした。中でもカントのある言葉が、私を長く望んでいた道へと導いてくれました。

「汝の人格においても、あらゆる他者の人格においても、その内にある人間性を単なる手段としてではなく、常に同時に目的として扱うように行為せよ」。

私の歴史への憧れは、魂の地である故郷ウンブリア州に息づいています。そこは、古の香りをたたえ、聖ベネディクトゥスと聖フランチェスコ ― 私の魂の守護者たち ― の思索が今も静かに息づく、「精神の地」と呼ぶにふさわしい場所です。

私は、聖ベネディクトゥスを心から敬愛しています。彼は修道院長に対して「厳しさと優しさを併せ持ち、妥協なき指導者でありながら、深い愛情を注ぐ父のような存在であれ」と説いた人物です。

聖フランチェスコから私は、すべての「存在」と、飾らずに関わることの美しさを学びました。 「聖者の中では最も聖なる者でありながら、罪人たちの中では我らの一人であった」。 彼について、チェラノのトマスはそのように伝記に記しています。

家族からは、ふるさとと大地を愛する心を受け継ぎました。 クセノパネスの言葉にあるように「すべてのものは大地から生まれる」のです。

幼い頃、私は畑で雄牛を追いながら畝を描いていました。 その様子を見ていた父は、私がつけたまっすぐな畝を指して「まっすぐで、美しい」と言ってくれました。 その記憶とともに、私は“測ること”への情熱を受け取ったのです。かつて神と結びつけられていたような、尊い営みとしての“測量”に。 後に私は、工学部に進学しましたが、学業は途中で歩みを止めました。

私は、大地への愛、人生と仕事への想い、そしてその土地に宿る精神「ゲニウス・ロキ」への敬意から、場所を慈しむ心が育まれていきました。その情熱はやがて「人間性」を宿す住処としての建築へと結実していったのです。

聖フランチェスコは、教会建築とは、神に近づくため、高く、シンプルで、美しくあらねばならないと主張していました。

ジョン・ラスキンは19世紀半ばに、建築とは「永遠」のためのものであると書きました。

偉大な先人たちから学んだことのひとつに、ローマの賢帝ハドリアヌスの言葉があります。それは「世界の美に責任を持つ者であれ」というもので、今も私の指針となっています。

私が最も敬愛してやまない模範は、古代とルネサンスにあります。とりわけ古代ギリシャ人たちは、文化のあらゆる分野において、最も古く、そして最も偉大な師であると私には思われます。パルテノン神殿の前に立ったとき、私は人類の叡智が生み出した天才たちに対し、それまで感じたことのなかった深い感動を覚えました。この壮麗な神殿を設計した建築家イクティノスとカリクラテス、そして彫刻と建築を見事に調和させたフェイディアス。彼らの偉業が、優雅さと精緻さをもって私の胸に迫ってきました。そして、建設費の莫大さを問われたペリクレスが放った、あの一言を思い出すたびに、私は心を揺さぶられずにはいられません。「この建物は、アテネとともに永遠に生きるだろう」。ギリシャ人に続いて、古代ローマ人たちは円形闘技場や劇場、競技場、都市を築くことで、その偉大さを表現しました。そして他文化の言語を取り入れることで、彼らの芸術はさらに深みと広がりを得たのです。まさにゲーテが語ったように、古代ローマ人は「永遠を志向して設計された、第二の自然」とでも呼ぶべきものを創造したのでした。

私が師と仰ぐのは、ウィトルウィウス、アルベルティ、そしてパッラーディオです。彼らには共通して、建築に対する明確なビジョンがありました。それは、純粋で、洗練され、簡潔でありながら、機能的で自然と調和し、そして時に幻想的な美をも備えた建築です。彼らの驚くべき作品群に触れ、時を超えて読み継がれる著作を通して、私は建築とは人間のためにあるものだということを学びました。これは、まさにパッラーディオが語った言葉です。彼は、同時代の建築家について問われたとき、「彼らは素材や技術に精通した優れた技術者ではあるが、その作品には親しみが欠けている」と語りました。アルベルティは、建築が人文主義の思想と深く結びついていることを教えてくれます。彼にとって都市とは、一つの大きな建築物であり、そこに暮らす人々は一つの大家族なのです。そしてウィトルウィウスは、建築に必要なのは堅牢さ・実用性・美しさであり、その三要素が揃ってこそ、真の価値が生み出されると説きました。この偉大な建築理論家は、常に建築素材や技術に向き合い、それらを生み出す大地とつながっていました。

しかし、ここに立っていると、ルイージ・ヴァンヴィテッリの作品に心動かされる特別な感情が、否応なく胸に湧き上がってくるのを感じずにはいられません。バロックの熱が冷め、新古典主義へと移行していく十八世紀において、彼の建築には、稀有な人文主義の優しさが宿っているのです。ゆえに、私は本日をもって、ルイージ・ヴァンヴィテッリを自らの師と仰ぐことにいたします。彼が壮大な建造物の礎石に刻んだ銘文に、私の心は深く魅了されました。 「この宮殿と王座、そしてブルボン家の王統が、この石が自らの力で天へと昇る日まで続かんことを」。

この偉大な建築家たちの作品は、永遠の存在であり、思想と歴史の感情を証立てています。私たちには、この豊かなレガシーを守り続ける義務があると信じます。もし記憶が失われていけば、私たちは、自分自身をも見失ってしまうかもしれないからです。そして、歴史を守り続けることは、将来への遺産を受け継いでいくことを意味します。

私に深いインスピレーションを与えてくれた偉人たちの中でも、特に敬意を抱いてやまない人物がいます。彼は建築家であり、哲学者であり、詩人であり、人文主義者でもあります。そして何より、澄みきった魂と深淵な思索を持ち合わせた、稀有な存在です。 私と彼との関係は、まるでアレクサンドロス大王とアリストテレスのようなものに思えます。その人物が、今ここにいます。彼の名は、マッシモ・デ・ヴィコ・ファラーニ。私は心の底から、あなたに感謝を捧げます。

「良き政治」「良き家族」「宗教と精神性」という理想のもとに、私たちはこの業界を築いてきました。私たち自身を、人文主義を取り入れたこの会社の小さな「建築家」とみなし、偉大なる建築家ウィトルウィウスの「堅牢かつ有用で、美しく、優雅であれ」という原則を大切にしています。

確かな価値を持つもの、それは時を超えて受け継がれ、未来に残すべきものです。有用であることは、人間性を高め、すべての人のモラルと経済的な尊厳を尊重するからこそ、意義があります。そして、美しさと優雅さは、働く空間を心地よくし、日々の営みに喜びをもたらします。私たちは「ゲニウス・ロキ」という偉大な理念を深く信じ、それを大切にしながら、この世界で創造の一瞬に立ち会う「守護者」としての誇りを感じているのです。

私たちは、14世紀に起源を持つ村「ソロメオ」で働き、暮らしています。私たちはこの村を長年にわたって修復し、新たな建築も手がけてきました。その過程で私たちの指針となったのが、偉人たちの知恵です。

私たちは、パッラーディオとスカモッツィが手がけた、ヴィチェンツァの城の中庭にある世界で最も美しい劇場、オリンピコ劇場と、壮大なサッビオネータ古代劇場にインスピレーションを受け、宗教に属さない芸術のための神殿として、私たち自身の円形劇場を建設しました。

私たちは、母なる大地への賛辞となる、神聖な場所として、ワイナリーを建設しました。大地は、クセノパネスの教えのとおり、すべてのものの源です。

私たちは、信条への証として、「人間の尊厳」へのモニュメントを丘に建てました。

私たちは現在、古代18世紀の別荘を復元しています。そこには、世界中の本を集めたソロメオ版のアレクサンドリア図書館が出来上がる予定です。その建物は、アレクサンドリアのプトレマイオス1世と、ローマ皇帝ハドリアヌスに捧げるものです。彼らは偉大な言葉を残しています。「書物は、私に人生の道筋を示してくれた」「書物は私にとって最初の祖国となった」「図書館を設立することは、公共の穀物倉庫を建てることに似ている」。

これらの作品の近くには、公園、オリーブの木立とブドウ園を配置しています。ベネディクト会のある友人が、以前私にこう言いました。「ソロメオと周辺の田園地帯全体が、一つの修道院のようだ」と。

これらの建物は、永遠に受け継がけるよう設計されています。

ローマ皇帝ハドリアヌスは、こんな思想を残しています。「私は世界の美に対して責任を感じる」。

私たちは、持続可能で調和の取れた企業成長を信条としてきました。倫理・尊厳・モラルを重んじ、適正な利益の創出に努めるとともに、事業活動を通じた人類への損害をなくす、あるいは最小限に抑えることを目指してきました。

私たちは、サステナビリティのビジョンを抱いています。

気候保護であれば、大気、陸地、海洋。

経済であれば、人々が働く場所、収入の度合い。

文化であれば、地域社会に対する私たちの義務。

精神性であれば、職場での待遇。

テクノロジーであれば、仕事上でオンラインに拘束される時間の規制。

モラル面であれば、イタリア発の会社として、国の成長への寄与に誇りを持つこと。

これらの主要な課題において、私たちは2000年前のローマ法のもととなった偉大な皇帝アウグストゥスの教えにインスピレーションを得ています。それは、「正直に生き、誰にも害を与えず、それぞれが自分らしくあること」という教えです。

私たちは、このビジョンを、「人間主義的資本主義」と、「人間らしいサステナビリティ」として定義しました。

まさにこのビジョンの証人として、2021年にローマで開催されたG20サミットの場で、私はドラギ首相の招聘を受け、スピーチを行いました。そこにはイギリスのチャールズ国王も出席していました。

私のスピーチの締めくくりは、こうでした。「守護者として、この世界の美と創造を一時的に託された皆さまへ。私たちは人類を代表してお願いします。どうか、生きるための道を示してください」。

ジャン=ジャック・ルソーのような、啓蒙思想家やロマンチストたちは、私たちに、人間にとっての社会契約の必要性を確信させてくれました。社会契約思想の起源は、古代のプラトン、アリストテレスまでさかのぼります。私たちの時代に近づけば、トマス・ホッブズ、ジョン・ロック、そしてルソーが、それぞれ「社会契約」という思想を主題にした重要な著作を残しました。しかし近年、私たちは、エピクロスが説いたように、自分自身と世界の創造物との間にあるべき調和を見失いつつあるのかもしれません。だからこそ、いま私たちは、世界とその創造物を守るという責任を改めて自覚する必要があります。聖フランチェスコは、800年前にその先を見据え、聖歌を通して、人間だけでなく、地球、大気、水、そして野生の生き物たちまでも含めた「森羅万象との社会契約」の原型を築こうとしていたのです。

カントの哲学に倣い、私たちもまた、頭上に輝く星々がちりばめられた大空と、胸の内に宿る道徳律に目を向けましょう。世界とすべての創造物が、いま私たちの手を必要としているという事実を、決して忘れてはなりません。いまこそ、私たちと世界、そして創造物とのあいだに、新たな社会契約を結ぶときです。

今を生きる若い皆さんは、新たな時代の見張り役であり、創造された世界を守る騎士、そして未来を見守る守護者でもあるのです。

人類の歴史を振り返れば、何千年ものあいだ、同じような言葉が繰り返されてきました。五千年前のバビロニアから始まり、ソクラテス、セネカ、聖アウグスティヌスの時代を経て、1350年、ヒューマニズムとルネサンスを切り開いた若者たちに向けて、ボッカッチョもこう嘆いたのです。「若者は贅沢を好み、権威を軽んじている。このままでは、我々の文化を守り続けることはできないだろう」と。

このような説に惑わされないでください。新たな時代、「テンプス・ノヴム(Tempus novum)」の到来を信じて、こうした思考には抗いましょう。人文主義の革命は、いままさに芽吹こうとしています。

人工知能に対しては、これから知っていくべき「都市」のように向き合うべきです。ロボットは共感できる存在として設計されており、それによって世界はより良い場所になっていくでしょう。 私は、NvidiaのCEOが小さなロボット「ブルー」に電源を切るよう促す動画を見て、深い衝撃を受けました。ブルーはまるで彼のもとを離れたくないかのように、悲しげに電源を落としました。その様子にはまるで本物の愛情が宿っているかのようで、私は思わず心を動かされそうになりました。

Photographs by Gavin Bond©

文化とは聖書に言われる「地の塩」です。知性には、教育によって培われる知性と、魂によって培われる知性とがあります。

ディオニュソスの自由な魂と、アポロの理性ある心を合わせもってください。大きな理想を信じてください。

貧困問題から背を向けないでください。連帯と深い思いやりの心を忘れないでください。

常に希望を抱いてください。愛と情熱を持ってください。オウィディウスの「恋の技法」にインスパイアされてください。「引裂きかれることは魂の燃料だ」とF1ドライバーのアイルトン・セナは言いました。感性や感情、想像力や創造力を信じてください。

ピタゴラスには『黄金の詩』という短い著作があります。わずか三ページほどの中に、彼は人生の本質を凝縮しています。その中の一節には、次のような教えがあります。

「眠りにつく前に、その日の行いを三度振り返りなさい。私はどこで過ちを犯したか?何を成し遂げたか?果たさなかった義務は何か?最初の問いから順に、自らの行動を見つめ、過ちには反省を、善き行いには称賛を。人は、自らが蒔いた種を、いずれ自ら刈り取ることになる。このことを常に心に留めておきなさい」。

どうか、善き人として生きていってください。あなたの魂の中に、偉大な思想を宿らせてください。知恵とは、ソクラテスが言うとおり、すべての美しさの中で、最も美しい存在です。

私は今日の締めくくりとして、1930年ごろ、哲学者パーヴェル・フロレンスキイが子どもたちに遺した、魂に語りかけるような言葉をご紹介したいと思います。

「愛しいわが子たちよ。心が重く感じられるとき、うまくいかないことがあるとき、人に侮辱されたり、傷つけられたりしたときは、どうか外に出て、空や星々を見上げてごらん。きっと、すべては再び調和を取り戻していくだろう」。

ありがとうございました。皆さまは、私にとってかけがえのない、心から素晴らしい贈り物をくださいました。

創造の恵みがあなた方を包み、真理へと導きますように。

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