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- 2024年秋冬 - 「ジェントル・ラグジュアリー、それは節度ある美の象徴。」
- 2023年秋冬 - 「美徳は街に必要なものである。」
- 2022年秋冬 - 「瞳は魂の通訳者である。」
- 2021年秋冬 - 「自然は、優しく、賢明かつ公正に道を示してれくる。」
- 2020年秋冬 - 「普遍のヒューマニズムへ向けた歩み。」
- 2019年秋冬 - 「心の時間、和合のひととき。」
- 2018年春夏 - 「人間としてのプライバシー。」
- 2017年秋冬 - 「自然は無限の理法に満ちている。」レオナルド・ダ・ヴィンチ
- 2016年秋冬 - 「コデックスあるいは人間主義的文化。」
- 2015年秋冬 - 「自然は不必要なものは作らない。」アリストテレス
- 2014年秋冬 - 「万物は大地より生まれる。」クセノパネス
- 2009年秋冬 - 「世界の心。」
- 2008年秋冬 - 「純真さ、美しさ、真実。」
- 2004年秋冬 - 「人間とは大きな奇跡である。」
- 2003年秋冬 - 「より優れた世界のオーロラ。」
- 1997 - 「時間の中で、共に。」
- 1996 - 「私たちには新しい形のヒューマニズムが必要である。」
- 1995 - 「美の中には常に永遠の何かががある。」シャルル・ボードレール
- 2004年秋冬 - 「人間とは大きな奇跡である。」
「人間とは大きな奇跡である。」
2004年秋冬
私たちは怒りを捨て去らなければなりません。イエスを捕らえたローマの兵士に向かって武器を取り、怒りに屈したピエトロは、その後、怒りに満ちた人々を非難し、彼らに対しては夜のとばりが下りる前、午後に太陽が沈むと述べました。憤怒にたぎる人の目をくらませる暗闇が訪れるのです。キリスト教における怒りの非難は、ガンジーの思考に反映されています。ガンジーは、東洋の精神性に従い、この感情の変化について考えました。怒りを征服できるとすれば、人間の真の力を創り出す根本となると述べたのです。これは怒りが欲求不満から生まれるとする科学的解釈に近い考え方であり、怒りの唯一の犠牲者は怒る人自身であることを示しています。
ウンブリアのソレンネ山のすぐ下にあるサン・ピエトロ・イン・ヴァッレ大修道院は、スポレートのランゴバルド公ファロアルド2世には夢に現れた使徒ピエトロの望みによって建てられたと言われています。元にあった隠者集落を拡大し、7世紀に修道院を併設して再建されました。観想修道士、隠者、放浪修道士たちは、和解のために選ばれた場所として、空に近い自然の美に満ちたこれらの場所に集いました。
巡礼者とは、約束の地または失われた楽園へ到達するための試練の時を修める、地上での人間の状況を象徴的に合わせた姿です。巡礼者は地上にあるものの無常と、優れた性質から離れた目的に対する願望を認識し、貧しさの中でその旅を全うし、その杖は忍耐と無欲の試練を象徴します。
怪物のように恐ろしい現実の狂った破片を目撃するこの時代の中で、私たちは極めて大きなものを示唆する価値をになう、この呼びかけに応じて心安らかなるものを求める想いに駆り立てられています。世界の様々な地域から集まるサン・ピエトロ・イン・ヴァッレへの男女の巡礼者たちは、宗教の違いを超え、人と人との和解の基盤となる安らかさを探しにやってくるのです。