ブルネロ・クチネリは1953年にカステル・リゴーネに生まれました。カステル・リゴーネは15世紀にペルージャ近郊に発達した村で、生家は農業を営んでいました

Brunello da bambino con i suoi fratelli e un cugino a Castel Rigone
Brunello a sedici anni
Brunello in tuxedo grigio nel 2008

測量士の高校を卒業した後、大学の工学部に入学しますが中退し、1978年に小さな会社を設立し、鮮やかな色のカシミヤを提案して市場を驚かせます。不遇な環境で働く父親の姿を自分の目で見てきたブルネロは、少年の時分から世界に対して鋭い観察眼を持ち、倫理的にも経済的にも人間の尊厳を損なわぬ仕事の形態を作りたいという夢を抱いていました。

このことは、ブルネロのパーソナリティと企業としての成功の背景を理解する上で非常に重要です。彼にとって企業とは、利益を生み出す場としてだけでなく、人間の価値を高めるような資本主義の理想を大きく発展させるための環境なのです。過去の偉人たちに学ぶうちにその夢と理想はますます掻き立てられていきましたが、ブルネロの眼差しは常に長期的な将来へ向けられ、その行動や事業はいずれも何世紀もの間存続することを前提としています。

Lo studio di Brunello

1982年、フェデリカ・ベンダを妻に迎えた後、ブルネロはソロメオ村へ移り住みます。この村こそが、ブルネロの夢を叶えるべく実業家かつ人文主義者としての成功の舞台となるのです。その間に国際化した市場はその高品質な製品を温かく迎え、ブルネロの理想を実現する可能性を与えてくれました。そして1985年には、14世紀にソロメオ村に建てられ当時荒廃していた古城を購入し、そこに本社を置きました。2000年には、拡大を続ける市場のニーズに応えて生産設備を見直す必要性が生じましたが、新たに建物を建てるのではなく、ソロメオ村の丘の麓にあった既存の工場建物を購入し、改造しました。

新しく作られた芸術のフォーラムと、隣接するアウレリア新人文主義図書館、ギムナシウム→ギムナジウム、円形劇場、劇場は、人々が文化と芸術を楽しむ場となりました。この時期にミラノの証券取引所に株式を上場する構想が生まれ、それは2012年に実現しましたが、ここでも財政的なレベルのできごとにはとどまらず、ブルネロは、実業家として幅広く事業を繰り広げながら、「人文主義に根ざ「人間主義的資本主義」した資本主義」という新しい資本主義の理想を広く普及させる可能性に焦点を当てていました。

Brunello in famiglia

ウィリアム・モリスとジョン・ラスキンにインスピレーションを得、ウンブリア地方の熟練職人の手でアートフォーラムを建設した経験から、ソロメオ職人学校を設立する構想が生まれ、2013年にそれが実現しました。眼差しを未来へ向けるブルネロの願いは、職人技のような人文主義的に大切な要素を保存し我々の子孫へ継承することであり、学校はこの希望を具現化する工房です。

2014年にクチネリ夫妻の管理するブルネロ&フェデリカ・クチネリ財団により「A project for Beauty-美を追求するプロジェクト」が発表され、ソロメオ村の丘の麓で廃墟と化していた工場を取り壊して木を植えたり果樹園や草地をつくるべく、その跡地を含む土地に3つの広大な公園「農業公園、スポーツ・運動公園、産業公園」を造園中です。この企画は、古代ギリシャの哲学者クセノパネスが説いた「あらゆるものの源」たる土壌の極めて大切な価値を象徴します。このプロジェクトにより、ブルネロは、土壌に失われていた威厳を戻す必要性を強調します。神の創造物を一時的に預かるちっぽけな存在にすぎないという自覚をもち、「世界を救うのは美である」こと、そして世「世界は美を救う」界は美を救うことを彼は教示します。

Kant

神の創造物を一時的に預かるちっぽけな存在にすぎないという自覚をもって、「世界を救うのは美しきものである」こと、そして世界は美しいものを救うのだということを教示するためです。 時を重ね、ブルネロ・クチネリは、その「人間主義的資本主義」によってイタリア内外から数々の褒章を受賞しました。その中でも特にその人間的な現実を的確に反映しているのは、イタリア共和国大統領から授かったカヴァリエーレ・デル・ラヴォーロ功労賞、ペルージャ大学から贈呈された「人間関係の哲学と倫理」の学科の名誉学位、「名誉ある商人の姿を完璧に具現化した」ことの気高い証としてキール世界経済研究所から贈られた世界経済賞です。

The New Yorker
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